2020.06.13
会社売却とバイアウトそして事業承継の物語 20話 ~初回面談で何を聞かれる?~
買収者候補との初回面談 ~2018年6月7日~
N社との面談日はすぐにやってきた。当日は樫村、川村の他、平井、白鳥CFO、佐藤COOが参加した。N社本社に着くと、すぐに役員会議室に通された。そこで待っていると、堀口CFOが入ってきた。
堀口 「お久しぶりです樫村さん。今日はご来社いただきありがとうございます。もうすぐ社長の戸村も参りますので少々お待ちください」
樫村 「あ、どうもお久しぶりです。今日はありがとうございます。まずご紹介しますね。こちらが平井社長です」
名刺交換がはじまり、間もなく戸村社長も入室し、全員が着席した。樫村と堀口がきわめて気心の知れた仲であることから、会議はスムーズに進んだ。平井も緊張することなく自然な表情で面談に臨むことができていた。大規模な M&A ではやや状況は異なるが、中小・中堅企業のM&Aでは、実はこういう人間関係が成否に影響を及ぼすことも多い。時には「あの社長なんか暗い感じがするからこの検討はもう止めよう」とか、「対象会社の経営チームと波長が合わない気がしたからもう止めよう」といった理由で中止になったという実例を樫村自身も複数経験していた。
この日までにNDAを締結していたことから、会議では樫村が先頭を切りプロセスレターを用いて今後のスケジュールを含めた全体像の説明を行い、その後平井によりIMを用いた自社の説明がひと通りなされた。その後、堀口らから様々な質問がなされたが、即答できないものはメールで後ほど回答することになった。結果的に、戸村社長より、入札日として設定している6月24日までにはLOIを提出できるというコメントをもらうことができた。樫村は手ごたえを感じた。
このようなミーティングに社長が参加し、かつ、相当タイトなスケジュール(注1)の確約をもらえるというのは、M&Aに対して真面目にテンポよく検討する会社だからだ。M&Aに慣れた会社はFAも仕事がしやすいし、対象会社を合理的に評価してくれる場合が多い。M&Aに慣れていない会社だと意思決定が大きくぶれたり、“相場”ともいえるような条件でさえも受け入れてもらえない等、交渉が難航する場合がある。また検討期間が長期に及んだうえに意思決定ができない場合も多い。最後に堀口から重要な問いかけがなされた。
堀口 「それで、平井社長としてはいくらで売却されたいのですか?」
平井 「そうですね。私としては31.5億円程度を想定しています」
堀口 「それは企業価値ベースでということですか?」
平井が少し戸惑ったようにみえたので、樫村が間に入った。
樫村 「いえ。100%の株主価値ベースで31.5億円程度を考えています。ただ、有利子負債等は2,880万円程度なので、企業価値もあまり変わらないとご理解いただいていいです」
堀口 「なるほど。了解しました。……でも少し高いですねぇ。前期のEBITDAが約3億円と考えると10倍くらいということになりますよね?」
樫村 「そうですね。ただ、FT社は純キャッシュで3億円程度ありますから、EV(注2)をキャッシュを含まない事業だけの価値、つまり事業価値で表現すると、31.5億円-3億円=28.5億円位ともいえます。あと、おそらく平井さんの役員報酬額は御社が買収した後にその相当額が不要になってきますし、他にも明らかに削減可能なコストも複数ありますので、それらを考慮すると、EBITDAは3.5億円程度とみてもいいと思っています。したがって、28.5億円÷3.5億円=8倍ちょっとという見方もできるということになります。あとは実は御社に本件をご紹介した背景として、御社であればFT社を買収することで相当程度シナジーが発生するのではないかと思っています。というのは……」
樫村と平井は、ここでシナジーがなぜ生まれるのかという内容を十分に堀口に伝達した。ひと通り説明を聞いたあとに堀口は一度ゆっくり考えてみたいという姿勢をとった。
堀口 「了解です。たしかにシナジーがどれだけ発生しうるのかというのも重要ですからね。それを前提に価格については考えてみたいと思います」
このような形で面談が終了した。帰社するとすでに堀口からメールが入っていた。
「樫村さん、川村さん。本日はご来社いただきましてありがとうございました。少し相場よりも高額な印象がありますが、お話そのものは非常に興味深いものだと考えています。これから、CCに付けました4名と社長の戸村、私の合計6名で本件を検討していきますので、今後の連絡はみなさんでの共有をお願いします。それでは資料データをお待ちしています」
面談時に堀口らから受けた質問に対しては、川村が平井らと回答案を作成後、すぐに回答メールを送った。なお、樫村と川村は協議のうえ、LOIのドラフトを売却側自ら作成して堀口宛てに送付した。こうすることで、買収者側はスピーディーに条件提示ができ、かつ売却者側が特に知りたい情報を買収者に記載してもらうことが可能となることから、様々な点で売却者側のメリットにつながる(詳細は『会社売却とバイアウト実務のすべて』第五部 2-8参照)。
たとえば、価格の記載については、根拠をどこまで記載してもらうかが重要である。売却者側からLOIのドラフトを出す際には、「価格算定根拠をここまで明記してください」という文言を入れておくのだ。なぜなら、価格の根拠が明確であれば、買収者がDDを実施したあとに提示価格を下げる際にも両者が納得したうえでの合意につながるからだ。
資料データを送付したあと、N社の現場の4名から立て続けに質問リストが送付されてきた。川村はそれら質問を取りまとめ、FT社のメンバーと一緒に回答を進めていった。
同時期にはS社との面談も行われたが、樫村の手ごたえは悪かった。
残すはF社のみである。F社には、資料開示が遅くなったために検討結果が遅れることを危惧して、あらかじめ川村より先んじて資料データを送っていたが、その送信メールについての返答もなかった。樫村は心の中でこのように思った。「F社はトーンが下がったかな。もしこの案件が成約するなら、N社だろうな。S社も関心を示してくれているが、経営陣がM&Aに慣れていないので最終的に意思決定できない可能性がある」
注2:「EV」は、「事業価値」と定義する場合と「企業価値」と定義する場合があります。それぞれの定義は詳細は『会社売却とバイアウト実務のすべて』第四部 2-3参照。
(執筆及び監修:株式会社ブルームキャピタル 代表取締役 宮崎 淳平)