2020.06.13
会社売却とバイアウトそして事業承継の物語 10話 ~会社売却と事業売却~
M&Aアドバイザー(FA) ~2018年3月25日~③
樫村 「そうですね、会社売却や事業承継取引の第一段階では、基本的には弁護士をアサインして買い手候補とNDA、つまり機密保持契約を締結します。NDAとはNon-Disclosure Agreementのことです。Confidential Agreementの略でCAと呼ばれる場合もあります。この締結の直後に初期的な機密情報を開示するので、このときまでに可能な限りプロジェクションとインフォメーション・メモランダム、つまりIM(詳細は『会社売却とバイアウト実務のすべて』第五部 2-6参照)を作成しておくべきでしょう。プロジェクションというのは、平たく言うと会社の事業計画、IMは御社の詳細説明資料のことです。IMでは御社の概要情報のほか、強み、市場、特に説明すべき部分、考えられるシナジー、財務情報やその背景、将来計画、考えられる問題点とその対処法等を詳細に解説していきます。プロジェクションやIMはFAによっては作成支援をしてくれないこともあるようですが、ある程度の価値以上で売却しようという場合は必ず作成すべきと言えるほど重要なものです。あと一応、入札にするのでプロセスレターも作成しましょう。プロセスレターとは、買収者候補向けの『本案件の取扱説明書』とでもいえるものです。本案件のルールや想定スケジュールなどが明記されます(注1)。これらの作成にはコツがあるので、また別途説明します。これが完成したらNDA締結後に基礎的資料と共に買い手候補に開示し、深い検討を開始してもらいます。
ここまでがこの資料に書いている⑤までの流れになります。まずは、これまでご説明した会社売却のプロセスを再確認していただき、平井社長のほうで本当にプロセスに入るか否かをご検討ください」
平井 「ありがとうございます。よく理解できました。やっぱりプロと話すと会社売却とか事業承継とか素人には難しい話でも先が見通せますね」
樫村 「まぁ、うちはIT関連企業には強いので、なんとかいい形でできると思いますよ」
樫村は最後にそう言葉を残し、午後3時を過ぎたころに会議は終了した。
その日の夜、平井はまた「売却してもよいのかな」と悩みはじめていた。樫村に連絡すれば、このまま売却プロジェクトが進みそうな手ごたえはある。しかし、樫村との話の中で今後の流れがあまりにも見通せてしまったがゆえ、もう一度躊躇する気持ちが芽生えてきたのだ。
「このままオレがオーナー社長として1年、2年、3年と続投して、果たして従業員、他の役員、自分自身が幸せになれるのか? 少し無理をして新規事業を開発していくということもできるけど、いまの本業自体は他にベストオーナーがいるような気がするな。他の M&A イグジット経験者も言うように、自分の立ち位置をもう少し深く考えるべきだと思うし、FT社自身も自社単独成長には限界があるからな。いまの本業はこのまま残して同じ会社で新規事業を開始するというのもアリだから、事業だけを売却するという方法もあるのかな」
このような形で思索をめぐらせる状況は多くの売却者が経験することだ。平井も、再度弁護士の清水へ相談したいと思い、すぐさま携帯電話を手に取り電話をかけた。
平井 「清水さん、ごめん。ちょっとさっきの件でもう一度話をしたい」
清水はまたもや翌朝に来社してくれることになった。また、清水はスキームの話にもなりそうだと考え、彼の懇意にしている会計士兼税理士である亀田を連れてくるとのことだった。
会社売却スキームの検討過程 ~2018年3月26日~
午前9時、清水と亀田が到着した。平井は昨日の樫村との会議の内容と事業売却のアイデアについて清水たちに尋ねた。
平井 「基本線としては株式譲渡で進めようと思うんだけど、事業の売却という形にして会社を残すというのもありなのかな? と思ったんだ。まぁ思い入れがある会社だし、新事業の医療系サービスをこの会社でやるというのも考えられる」
亀田 「そうですね。事業売却という方法もあるかもしれません。ただ、その場合のメリットと問題点の有無については確認する必要があるかもしれませんね。というのは、御社の場合、欠損金が少ないので事業売却益の大部分に課税されてしまうんです。欠損金がたまっていると有利なんですけどね。また、売却対価は平井さん個人ではなく、事業を売却した主体であるFT社に入金され、FT社に課税されることになります。この場合の課税率は法人税課税なので35%前後(注2)となりますので、株そのものを売却して個人に入金される場合の税率である約20%よりも課税率が高くなってしまうんです。ですから……」
このように亀田がひと通りの説明を行った。平井には難しくてわからない部分もあったが、これらのスキームの詳細については後ほど清水と亀田で最適な案を考えてほしいと伝えた。平井はもう1つ気になる点があったのでそれについて亀田に質問した。
平井 「そういえば亀田先生、実はFT社って10%が優先権付きの種類株式なんですよ。これがざっくりとした内容なんですけどね。清水先生にも聞いたのですが、なにか問題はありませんかね?」
平井はそう言うと、種類株式の情報がまとまった資料を差し出した。
亀田 「なるほど。種類株ですか。投資額の1.5倍の優先分配、参加型、残余財産優先分配権、みなし清算条項等がついてますので、たしかに平井さんの経済的デメリットはあるでしょう。スキーム的には優先株式と普通株式でうまく優先分配の条件に合うように株価を変えて売却するというケースが多いようです。もちろん、その前提として、普通株と優先株の株価をきちんとした根拠をもって算定すべきなのは言うまでもありませんが」
清水 「なるほど、現状だとホライズンは10%分を種類株式、10%分を普通株式として所有しているのですが、この場合、最終的にどう整理されるのですかね?」
亀田 「基本的な考え方としては、企業価値を最初に定め、有利子負債等を控除して株主に帰属する価値、つまり株主価値を算出し、算出した株主価値のうちどの分が種類株式の分で、どの分が普通株式の分か……といった具合に分けていきます。ここから先は少し難しいのですが……」
亀田は普通株式と優先株式により、1株当たりの手取りがどの程度変わってくるのかについて詳しく解説し、それを平井はなんとか理解したようだった。
平井は最後につけ加えた。
平井 「基本的に優先分配の件は、僕自身に満足のいく実入りがあれば問題ないと思っています。あとはさっきから話をしていたスキームのほうが影響が大きいかなと思いますので、このあたりを調べていただけませんか?」
清水と亀田はこれに同意した。会議が終わるとすでに正午を回っていた。平井は亀田と清水の検討結果を待ち、当日の午後11時を回ろうとする頃に、亀田からメールが届いた。亀田は清水と相談し、取引の煩雑性や平井にとっての法的な安定性、最終的に平井に残る金銭などもすべて考慮したうえで、やはり「株式譲渡」を選択したほうがよさそうだと結論づけた。平井もその根拠を理解し「事業譲渡」を考えずに進めていくことが固まった。スキーム検討は、様々な要素が関わってくるため弁護士や税理士などと十分に協議のうえ判断することが大切である。
これを受け、午後11時と遅い時間ではあったが、平井は樫村へ電話をかけた。
平井 「あっ、夜分にすいません。FT社の平井です。昨日の件ですが色々と私なりにも考えて株式譲渡を前提に進めていきたいということになりました。ネクストアクションとしてはどうしましょうか?」
こうして、本売却プロジェクトはスタートした。なお、平井は自己の保有株式の一部を売却するという話もあったが、結局のところ、全株式を売却するという方向性を固めた。
注2:本項で記載している税率は現状で適用されているものと異なります。
(執筆及び監修:株式会社ブルームキャピタル 代表取締役 宮崎 淳平)