2020.06.13
会社売却とバイアウトそして事業承継の物語 最終話 ~M&Aにおけるクロージング、シリアルアントレプレナーへ~
最終契約交渉の風景 ~2018年7月21日~25日③
S社との交渉が終了したことから、早速、最終入札日の翌日には堀口にN社と最終契約をする前提で進めていきたい旨を伝えた。堀口は電話越しでクロージングについて触れた。
堀口 「ご検討いただきありがとうございました。では、最終契約の詰めと並行して今後のクロージング手続きを詰めていきたいと思います。クロージング手続きや必要書類については、FT社さん側でなにかドラフティングしてもらえるということでいいですか?」
樫村 「はい。平井社長と本件のFT社側の弁護士の清水さんとで、このあとクロージング手続きについて詰めてもらう予定です。私もフォローします。すみやかに手続きの詳細をお知らせします」
堀口 「わかりました。それではご連絡をお待ちしていますね」
このようなやり取りのあと、早速清水も呼んでクロージング手続きの詳細を詰めた。特に契約締結日とクロージング日が同じ日付である場合、クロージング手続きの準備をしっかり整えていないとトラブルになるケースがある。川村はすでにクロージング手続きについてまとめた紙面を清水と相談して作成していた。簡潔に示すと次のとおりである。
契約締結 ~2018年7月26日~29日~
交渉が終了したことから、株式譲渡契約の最終的な原本を作成した。また、クロージング手続きについても、そのすべてにおいてN社堀口にも共有のうえ、プロセスを確認しあった。ホライズン側も、さすがにプロのVCだけあってすべての準備を完了させているようだった。なお、堀口は週次の投資会議において、最終契約を8月1日の取締役会で承認を受ける旨について内諾をもらっていた。
また、念のため、根回しをして社外取締役にも合意を得ていた。役員就任に関しては、株式譲渡契約にも定められていたとおりN社としては譲渡当日に現代表取締役の平井に辞任してもらい、同時に顧問契約を締結するための準備をした。一方、N社からは堀口が当面の代表取締役として選任され、ほかに福島という者ともう1名の合計3名が新任取締役として選任されるように手配した。
また、N社はクロージングに際して、FT社の株式譲渡承認が取締役会でなされたことを確認するため、当該事項を決議した取締役会議事録も契約時に渡してほしいとのことであった。FT社側としてはクロージング当日に備えてそれら書面も事前に作成しておいた。これらの作業を完了させ、あとはクロージングを待つだけという状態になった。
クロージングへ── ~2018年8月1日~
準備開始から約半年にも及ぶ長いトランザクションも、ついにクロージング日を迎えることとなった。N社では朝9時からの取締役会において本案件が最終決裁される予定であったことから、樫村は堀口からの電話を待っていた。電話は11時を過ぎた頃にかかってきた。
「堀口です。おはようございます。無事に取締役会で本件の最終承認がおりました。本日の入金処理もできるように手配しましたので、早速、株式譲渡契約の捺印を行いましょう」電話を切ってから、樫村と川村は分担して、クロージング手続きに入った。そして無事午後には、すべての手続きが完了し、約半年にわたる取引はクロージングを迎えることになった。
【クロージング後の平井の様子】
クロージング直後より、平井は引継ぎを行っていた。譲渡日当日から代表権は堀口に移り、実質的なFT社の運営はN社から新しく取締役に選任された福島が行うことになった。平井は福島と毎日のように会議を行い、事業運営上の細かい情報を共有していくように努めた。1年間の顧問契約を締結していたが、3か月を経過したくらいから平井が行うべき業務のほとんどが現場に巻き取られていった。心配していた営業数値も、N社の営業部隊がクロスセルを成功させ、プロジェクションには届かないものの順調な仕上がりをみせていた。
もちろん、想定していなかったトラブルも数多く発生したが、それらも平井の協力によって大きなトラブルになる前に解決することができた。福島の人望もよい方向に影響し、組織的にも人事的にも問題なく運営されていき、売却から6か月を過ぎた頃には、平井の仕事はほぼ終了した。
しかし、それでも平井は常に譲渡後のFT社の動向には注意を払い、ことあるごとに何か問題が発生していないか等の確認をしたり、問題が発生した際にはできる限りの協力を怠ることはなかった。実は、樫村からはクロージングの前から次のようにアドバイスされていた。
「平井さん、もしクロージング後に取締役を継続したり、顧問契約等を締結したりといったことがなくても、売却後のFT社のケアは十分にやってあげてください。それがFT社の今後にもつながりますし、何よりもM&A実行後のトラブル回避にとても重要なことです。そのような姿勢をもってN社との協力関係と信頼関係があれば、ほとんどのトラブルが大きな問題にならずに解決できると思います」
もちろん、この言葉を忠実に守るようにしたというのもあるが、それ以上に平井としては自分が生んだFT社が心配だったというのが大きかった。
平井がコミットせずともFT社が問題なく運営されるだろうという確信がもてるようになったクロージング後おおよそ1年が経過した頃から、平井は世界中を飛びまわり、様々なビジネスチャンスの模索、医療事業にかかる情報収集を行った。結果的に、平井は当初の想定どおり、医療領域に非常に広大な潜在市場をもつ領域を見つけ、新たに会社を立ち上げた。 M&A の一連の流れを経験したことで、企業価値の考え方にも一定の理解を得ることができたことから、資本政策も十分に練りつつ事業運営を進めることができていた。
再創業の1年半後には、M&Aイグジットの実績も評価され大型資金調達に成功して、現在では本当にやりたい事業を大きな資金力を背景に進めている。再創業し、資金調達を成功させた直後、平井は樫村に頼まれM&Aイグジットにかかるセミナーで自身の体験について講演した。その帰り、平井は樫村にこう言った。
平井 「もう、あれから数年ですか…。それにしても、樫村さんのおかげで色々と世の中を知ることができました。信用がどれほど重要なのか、資本市場がどういう仕組みで動いているのか、どうやって資産価値が評価されるのか、会社の財政状態をどうやって見通すのか、種類株式が実際どう作用するのか、挙げていけばきりがないです。こういったことをM&A取引の中で学ぶことができました。あのときに売却したことが正解だったんだなとようやく今確信をもてました。でも、いまは本当に最高に楽しく仕事ができています。本当にありがとうございます」
樫村 「また次に大型のM&Aを仕掛ける側に回ったら、また弊社を使ってくださいね」
平井 「もちろん」
2人は固く握手をして家路についた。
~終~
(執筆及び監修:株式会社ブルームキャピタル 代表取締役 宮崎 淳平)