2020.06.13
会社売却とバイアウトそして事業承継の物語 21話 ~買い手側の初期DD~
買収者候補によるシナジーとプロジェクションの検証 ~2018年6月9日~
N社との面談の2日後、樫村宛てに堀口CFOから連絡があった。
堀口 「樫村さん、色々と検討しているのですが、プロジェクションの信ぴょう性が気になっています。できればFT社さんと一緒に再度ご来社いただき教えていただきたいのですが」
樫村 「もちろんです。ちなみにどういった点が一番気がかりですか?」
堀口 「そうですね。内容としては今後の売上ロジックの部分が中心になります。プロジェクションをより詳細に分析しましたが、『現在設定している5.27%の解約率が今後、もっと上がってくるのではないか?』という点と、『顧客数が今後増加していくペースに合わせて本当に平均顧客単価が落ちないのか?』という点が気がかりです。あとは現在、代理店さんからの紹介顧客が月間30社程度ありますが、これも代理店との関係性次第ではこの数値が低下する可能性があると考えています。買収後に少なくとも現状が長期的に維持できるというエビデンスが必要なので、この点は代理店さんへのヒアリングや顧客ヒアリング等ができればよいなと考えています。
一方で、FT社のサービスに30万~40万円の月次支払いが可能な顧客を800社近くもっているネットワークはとても魅力的です。ここに弊社の既存プロダクトをクロスセルすれば、FT社のサービスと競合もしないので弊社商品の売上がアップする可能性は高いと推測しています。ただ、先ほど申し上げたとおり、これらもすべてFT社の顧客増加シナリオ次第ということになるので、この点は詳細に調査したいと思います。ここの確度いかんによっては希望価値を到底出せないということも考えられるからです。また、できれば面談にはCFO、COOもご参加いただけませんか?」
樫村 「了解いたしました。それではお打ち合わせをセットいたしましょう。たしかに今回、平井社長は売却後、退任される立場であり、実質的に本案件後の数字の責任は現在のCFO、COOにかかってくるところがあります。したがって、おっしゃるとおり当日は平井社長だけではなく、CFO、COOにも参加いただく形にしましょう」
堀口がCFO、COOといった売却後に残る経営陣の参加も要請したのには理由があった。オーナー経営者や親会社はプロジェクションをよくみせて高く売却したいと思うが、残存する経営者(今回のCFO、COO)は今後自身が数字責任を負うことになるため、プロジェクションを保守的にみせたいというインセンティブが働く場合がある。堀口はここを理解していたからこそCFO、COOの同席を求めたのだった。それゆえ、プロジェクション等を策定する場合は、社内のキーパーソン間でのコンセンサスをしっかりとっておくことが重要である。賢明な買収者候補であれば、残存する経営陣に対してヒアリングを実施するのが通常だ。もしその時に、売却後に退任するオーナー社長と残存する経営陣の将来展望に対する考え方が大きく異なっていると、買収者側はとても不安になるものだ。
堀口からの依頼を受けて、さっそく売却者側のメンバーが集まり、堀口との面談に備えるためのディスカッションを実施した。本案件では、平井、白鳥および佐藤の全員が意見を交わしたうえでプロジェクションを策定していたことから、大きな意見の食い違いが発生する余地は少なかったが、売上部分の説明についてはより補強すべきと考え、顧客の純増数を「顧客獲得チャネルごとの新規顧客数」、「解約数と解約理由」等に分けてより詳細に分析した書面を作成した。これらに対応する形で今後の営業戦略等も改めて検討し、紙面に落とした。
また、想定されるシナジーについてもより説明を補強すべきと考え、いくつかの戦略を検討した。1つの例を挙げると、FT社のビジネスは基本的には1社1アカウントを付与するビジネスモデルであったが、1社当たり複数アカウントを利用してもらっている大口顧客もいたことから、まずは買収者側と組んで大口顧客へのアプローチを積極的に行い複数アカウントを販売しようという戦略だ。これについては大口顧客を開拓した場合に考えられる売上増加シミュレーションを実施し、それも書面に落とした。
また、堀口が気にしているであろう販売チャネル面での事実確認も行った。すなわち、営業代理店に連絡をして今後も継続販売してもらえる確約をとった。これらをすべて議事録として作成するなど、ひと通りの準備をしたうえで、堀口との会議を実施することにした。
コラム②┃オーナー経営者と残存経営陣の利益相反
●「強気のプロジェクション」を好まない人(売り手側関係者)もいる
プロジェクションにも関連する重要な論点が、M&A取引において株式を売却して引退予定の「オーナー経営者」と、 M&A 取引後も残存を予定している「残存経営陣」の利益相反問題です。プロジェクションの策定にあたっては、通常オーナー経営者も残存経営陣も参加のうえで様々な協議を経て完成させていくことが多いものです。
ここで、オーナー経営者や親会社等の「売却者側」は基本的には「強気」のプロジェクションを示したい一方、「残存経営陣」は彼らが主張するプロジェクションに反対するケースがあります。なぜなら、M&A取引成立後に「プロジェクション」の達成責任を追及されがちなのは「残存経営陣」だからです。特に、親会社が子会社を売却するときに、子会社つまり対象会社の社長等は「ここまで高いプロジェクションは出したくない」と主張するケースがあります。場合によっては、プロジェクションで定めた目標値を達成できないことが解任の遠因となったり、将来の役員報酬が減額される理由になることもあるからです。
子会社社長や取締役という立場は、必ずしもアントレプレナーシップをもってリスクを厭わず成功を目指そうというタイプの方々ばかりではないため、よりこの傾向が強まります。「残存経営陣」からすると、「親会社やオーナーが高い金額で会社を売却することにつきあって、その数字に縛られて将来の自分たちの処遇に悪影響が及ぶのは承服しがたい」という心理になる場合があるのです。
プロジェクション策定に売却者以外の残存経営陣が関与することが明確である場合、あらかじめこの問題を解決しないままM&A取引を進め、プロジェクションの検証会議等を行うと、あとで思いもよらない問題に発展するケースがあります。このような場合は、基本的には売却者側となる経営陣や親会社と、そうならない経営陣の中での認識の共通化をうまく図りながら進めることが必要です。優秀なFAが関与している場合、ケースに応じて適切なアドバイスが得られるはずなので、相談してみるとよいでしょう。
(執筆及び監修:株式会社ブルームキャピタル 代表取締役 宮崎 淳平)