2020.06.13
会社売却とバイアウトそして事業承継の物語 24話 ~DDの指摘事項の例~
オンサイトDDの風景③ ~2018年7月4日~①
7月4日はマネジメント・インタビューの当日である。早速、FT社会議室にてインタビューが開始された。ここでは、ほとんどの質問に滞りなく回答できたが、N社、S社とも同じ1つの事項について問題点を指摘した。それは、重要取引先であるX社との開発業務委託契約に関するものであった。このように重要な取引先との契約内容がM&A取引において議論の的となるのは珍しくない。X社は、FT社にとって自社商品の開発パートナーであり、かつ定期的なメンテナンスも依頼している重要な取引先である。N社の堀口 CFOは以下のような説明をした。
堀口 「DDでは、色々とご尽力いただき感謝しています。ほとんどは想定どおりの内容となっており、資産等の内容についても、FT社から事前に伺っていた内容からそれほど乖離のない範囲で現状を認識することができました。しかし、法務DDの範囲で1つ問題が出てきています。それはX社との開発業務委託契約です。以前からのお話の中で、このX社が重要な取引先なのではないかと考えています。そのX社との開発業務委託契約をみると、解除条項の部分にこう書いてあります」
こう言って堀口は、契約書のコピーを配り、該当箇所を示して続けた。
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〈FT社と開発業務委託先X社との開発委託契約の問題となっている条項(COC条項)〉
『(解除)○○条 甲(X社)は、乙(FT社)が合併した場合又は乙(FT社)の株主に議決権の50%を超える変動があった場合には何ら催告をすることなく本契約を解除することができる。』
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堀口 「実はこの部分について弁護士から指摘があり、私もたしかに問題点になりえると考えました。こちら買収後にX社との契約が切られてしまうリスクはないのでしょうか? また、2点目として開発業務委託契約書内には開発会社の制作物の所有権がFT社に移転する旨は定められていますが、著作権の移転と著作者人格権の放棄が定められていないんです。こちらはクロージングまでに調整いただきたいと思っています」
もっともな質問であった。この前段はチェンジ・オブ・コントロール条項(以下、「COC条項」という)といわれる条項であり、たとえば、対象会社の支配株主が変わったり対象会社が組織再編行為(〓第三部 3-4〓参照)を行ったりした場合に、取引の相手方が催告なく取引解除できる等ということを定めた条項だ。類似の取り決めとしてこのような状況が起こる前に当該取引先に「事前通知」を行う旨のみを定めている場合もある。FT社の場合「事前通知」義務はなく、FT社の支配権が異動した場合には取引先に「契約解除権」が発生するという形式のCOC条項となっていた。樫村もセルサイドDDでこの事実は把握していたものの、開発の相手方である会社は他にも多数存在すると考え、深く気に留めずに進めていた。
一方で、後段の著作権の部分は法務面のセルサイドDDを行わなかったことから論点として挙がっていなかった。著作権は契約上特別な定めがない場合は開発会社に帰属する(著作権法17条)。また著作者人格権はそもそも譲渡できない権利であることから、一部の開発業務委託契約では開発会社側が委託者に対して当該権利を「放棄」する旨を定めたりする。しかし、FT社の契約ではその内容がきちんと定められていなかった。樫村は平井のほうに目をやって回答を促した。樫村としても不安な瞬間であった。
平井 「こちらですが、私としては問題ないと思っています。X社はたしかに弊社の商品を開発する際の外注先でもあり、かつメンテナンス業務も委託している重要な取引先です。また、取引金額も一定以上大きく、契約条件も非常によい条件で取引いただいています。X社との取引が解除されるとなると一定の損失はあるかもしれません。ここまでよい条件で継続して取引してくれる相手がすぐに見つからない可能性もあります。しかしながら、弊社のツールは比較的簡単な言語で作られたものであるため、他にも容易にX社と同様の業務を提供してくれる相手はいると考えています。また、X社からしても、御社の子会社となった弊社との取引関係を取り消す特段の理由もないと思います。特にN社さんとX社さんは競合関係もないですしね。著作権絡みの話も一緒で、こちらも特に弊社サービスのプログラムを別の場所で転用していることはないでしょうし、問題ないと思います。いずれにしても、株式譲渡契約後にX社にはお話に行く予定です」
堀口 「なるほど。理解いたしました。実はこの問題はDDに同席した弊社外注の弁護士事務所からの指摘なんです。したがって、私もこの指摘はしっかり確認しなければいけないなということで、X社についてはよく調べてきました。また、DDで開発者にプログラムもみてもらいましたが、どの部分を自社で開発して、どの部分をX社に外注しているかについてもしっかり聞いてみたいとのことでした。結論から言うと、弊社としてもこのX社との取引が解消した場合にも、それほど利益インパクトはないのではないかという結論に取り急ぎは至ってはいます。平井社長の話でそれが裏付けられた感じですから安心しました。ただ、もし可能であれば、事前にX社に対して温度感を確認してもらえませんでしょうか? 著作権のところも実は弁護士サイドがかなり心配しているようなのです」
これを受けて樫村が平井にアドバイスした。
樫村 「それでは平井社長のほうでうまく確認しておいてもらえませんか? できれば清水先生にこれらがクリアになるような同意書をドラフティングしていただき、X社と合意しておくのがよいと思います。くれぐれも、この交渉が機密情報であることはご注意いただくよう併せてお伝えください」
平井 「了解しました。それではうまく調整して株式譲渡契約を締結する前に同意書を取れるようにしたいと思います。あと弊社CTOと御社の開発者の面談を設定します」
なお、このような合意書取得の手続きは本来、最終契約後に行うべきだが、本例ではX社との関係性が相当深いという前提を置いている。
樫村は、平井と堀口が「協力」して本案件を成功に導こうと努力している姿から、「この案件はN社が買収する形で決着しそうだな」というたしかな手ごたえを感じた。
樫村はよく、「 M&A で重要なことはなんでしょうか?」とクライアントに聞かれる。この質問に対する答えは非常にたくさんあるが、その中の1つとして間違いなく重要な要素を挙げるとすれば、「買収者候補と売却者側のキーパーソン同士が『トランザクションの成功』という同じ方向を向いて協力して取引を進めていく状況になること」ではないかと答えている。
もちろん、案件を進めていく中で思いもよらない問題が発生し、双方が「ダメかもしれない」と考えるフェーズは少なくない。FAがフォローする場合、できる限りそのようなトラブルを未然に防ぐ努力をするが、短期間で進む交渉局面において、すべての問題を把握することは不可能だ。しかし、もし問題が発生しても、利益が相反しつつも両社が協力してM&A取引を成約させようという方向性で交渉できていれば活路は見出せるのだ。むしろ、このような大きな問題を首尾よく解決すれば、クロージングも近いといえる。
一方、交渉の双方当事者のキーパーソンの「信頼関係」がくずれてしまうと、FAが解決策を出したところで機能しないことも多い。信頼関係があれば、いわゆる「ぶっちゃけ話」もでき、ボトルネックを解決するようなよいアイデアが見つかる場合も多い。特に、「一方当事者にとっては譲歩してもそれほど痛手はないが、他方当事者にとっては相手がその事柄に関して譲歩してくれると、多くの問題点がクリアになる」というシチュエーションでは、「信頼関係」を基軸としたコミュニケーションによって最適な帰着点が見つかりやすくなる。
さて、話を戻すがN社とはマネジメント・インタビューを含め、順調に話が進んでいた。しかし、S社では状況が異なってきたようだった。S社も、N社と同じく弁護士が主導してこのCOC条項および著作権の問題を指摘してきたが、S社の場合、あくまで弁護士が前面に立った形でインタビューが進んでいった。最終的には、次のようなクロージングの前提条件を突き付けてきた。
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〈S社のクロージングの前提条件(注)の要旨〉
・株式譲渡契約を締結後、払込み(クロージング)までの間にX社から取引継続に関して合意する旨の覚書が取得できなかった場合は、買収金額を10%減額し払込金額を再調整する。また、著作権の譲渡および著作者人格権の放棄覚書が締結できない場合は払込み(クロージング)を実行しない。
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FT社や平井にとっては、著作権の部分は仕方がないにしてもCOC条項に関連して買収金額が10%も下がるという主張には大きな違和感があったことから、この条件の緩和を求めた。しかし、S社としてはこの条件は変えられないという一点張りだ。こうしたS社の交渉スタンスは平井に一定の嫌悪感を与えた。前述のとおり、FT社の取引相手であるX社は、他の開発会社に代替可能であり、X社との取引継続がFT社の事業の運営において絶対的に重要なものではなかったからである。平井としては、このあたりはS社のDDのスタンス(対象会社のビジネスDDに重要な役回りを本来果たすべきS社の開発担当者が積極的に関与しておらず、こういった事情の理解も薄いこと等)も影響しているのではないかと感じていた。
この場合のS社のように事業理解の薄い買収者の場合、ある懸念事項に対して、その問題が発生した場合の損失等を正しく見積もることができないケースが多い。些細な条件をうまくかみ合わせて落としどころを見つけることが重要なM&A交渉において、この一方当事者の事業理解の薄さは成約に対して大きな障害となる。事業理解のある買収者候補は適切に問題を評価し、受諾できる内容と受諾できない内容を適切に切り分けて考えることができるため、細かい条件交渉の中でもお互いに満足がいく全体最適につながりやすい。まさに、“細部に神は宿る”といっても過言ではない。細部のやり取りで成否が分かれるのがM&A取引なのである。
結局、平井がすぐにX社に状況を説明したところ、株主が変わっても同様の条件で最低3年間は取引を継続する旨、著作権が譲渡されている旨、著作者人格権を放棄する旨がすべて定められた合意書を何ら問題なく取得することができた。
(執筆及び監修:株式会社ブルームキャピタル 代表取締役 宮崎 淳平)