2026.02.16
【ニュース解説】GoogleによるSakana AIへの出資から読み解く 「生成AI時代のM&A・提携」の新たな標準モデル ~「資本」だけでは勝てない。「計算資源」と「販路」を巡るフルスタックの囲い込み競争~
目次
Sakana AIとGoogleの戦略的パートナーシップは、単なるベンチャー投資の枠を超えた、生成AI時代を象徴する提携です。Sakana AIは2023年の設立以降、東京を拠点に独自のアルゴリズムと学習手法を探求する「研究×プロダクト」型のスタートアップとして急成長を遂げてきました。今回のパートナーシップの骨子は、Googleからの「①資本参加」と、Googleが持つ「②AIインフラ・研究リソースの提供」をワンセットで設計している点にあります。
Sakana AIとは何者か——「Transformer」の生みの親が東京で仕掛ける逆襲
Sakana AIの物語は、シリコンバレーの巨大AI企業を飛び出した3人の創業者から始まります。
CTO(最高技術責任者)のライオン・ジョーンズ氏は、Google・YouTubeに合計12年間勤務し、2017年に発表された論文『Attention Is All You Need』の8人の共著者の一人です。この論文で提案された「Transformer」というアーキテクチャは、ChatGPTをはじめとする現在の大規模言語モデル(LLM)すべての基盤技術となっています。つまり、いま世界を席巻している生成AI革命の「原点」を作った人物が、創業者の一人なのです。しかしジョーンズ氏はGoogleでの仕事に不満を抱いていました。労働時間の2割しか研究に割けない現状に「全ての時間を研究に投入したい」と考え、退社を決意します。
CEO(最高経営責任者)のデビッド・ハ氏も元Google Brain出身。6年半在籍し、Google Brain東京チームのリーダーを務めた人物です。退社後は画像生成AI「Stable Diffusion」で知られるStability AIの研究トップとして活躍しました。
COO(最高執行責任者)の伊藤錬氏は、2人とはまったく異なる経歴を持ちます。東京大学法学部卒業後、外務省に入省。ニューヨーク大学ロースクール、スタンフォード大学東アジア研究所でも学んだ後、メルカリで執行役員(グローバル事業担当)を務め、さらにStability AIのCOOを経てSakana AIの共同創業者に就きました。外交官、グローバルIT企業の経営幹部、そしてAIスタートアップのCOO——この異色の経歴が、Sakana AIの「研究力」を「事業」に変える推進力になっています。
3人が選んだ拠点は、サンフランシスコでも北京でもなく、東京でした。ハ氏は「AI開発がアメリカと中国に集中するのは世界にとって健全ではない」と語り、地政学的にも経済的にも重要な日本で、米中とは異なるAI開発のアプローチを確立することを目指しました。
2023年7月に設立されたSakana AIは、初回調達で約45億円(NTTグループが国内のリード投資家)、2024年9月のシリーズAでは米国の大手VC(NEA、Khosla Ventures、Lux Capital)やNVIDIAを含む投資家から約300億円を調達。設立から1年以内に企業価値10億ドル超のユニコーン企業となり、「日本史上最速のユニコーン」と報じられました。
核心技術:「進化的モデルマージ」——巨大モデルへのアンチテーゼ
社名の由来は「魚(Sakana)」。単一の巨大な脳を作るのではなく、小さく効率的なAIモデルが魚の群れのように連携するシステムを構築する——これがSakana AIの理念「集団的知性」です。
その核心技術が「進化的モデルマージ」。既存のオープンソースモデルを「親」として掛け合わせ(交配)、優秀な「子孫」を選抜・進化させる手法です。ゼロからの学習に比べて計算コストを劇的に削減しながら、特定の能力に特化した高性能モデルを短期間で生み出します。これは、リソースを大量消費する「巨大モデル至上主義」への明確なアンチテーゼです。
さらに、AIが自律的に論文執筆から査読までを行う「The AI Scientist」を発表し、科学研究の自動化という新たな地平を切り拓きました。
Googleという買い手——150年の歴史を持つ「知の帝国」が東京に賭ける理由
Googleは1998年にラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンがスタンフォード大学の寮から創業した企業であり、今や時価総額2兆ドル超の世界最大級のテクノロジー企業です。検索エンジンから始まった事業は、YouTube、Android、Google Cloud、そしてAI研究の最前線であるDeepMindへと拡大。2017年にTransformerアーキテクチャを生み出したのもGoogle AI研究チームであり、現在の生成AIブームの「源流」は紛れもなくGoogle発です。
しかし皮肉なことに、Transformerの論文を書いた8人の著者全員がGoogleを去っています。ジョーンズ氏がSakana AIを創業したのはその一例ですが、他の著者たちもOpenAI系やスタートアップに散っていきました。Googleは「技術の種を撒いたが、その果実を最も収穫したのはOpenAI(とその背後のマイクロソフト)だった」というジレンマを抱えているのです。
この文脈を踏まえると、Googleが元Google出身のトップ研究者が率いるSakana AIに出資した動機がより鮮明に見えてきます。
Google側の3つの戦略的動機
第一に、人材流出の防御と「知の回収」。自社出身のトップ人材がマイクロソフト勢力圏(OpenAI)に流れるのではなく、Googleのエコシステム内に留めておきたい。Sakana AIに出資し、自社モデル「Gemini」との連携を組むことで、流出した知のネットワークを事実上取り戻す効果があります。
第二に、日本のエンタープライズ市場への切符。Sakana AIはNTT、富士通、MUFGなど日本の大企業連合から出資を受けており、日本の官公庁や金融機関とのコネクションを持ちます。外資にとって参入障壁の高い日本のエンタープライズ市場に入り込むための、極めて効率的なルートです。
第三に、「小型モデル × 効率化」という次の戦場への布石。巨大モデルの計算コストと電力消費は社会問題化しつつあり、Sakana AIの「進化的モデルマージ」が目指す「少ないリソースで高性能」というアプローチは、Googleが次の技術世代で必要とするケイパビリティそのものです。
Sakana AI側にとっての合理性——NVIDIAの「腕力」にGoogleの「知能」を加える
NVIDIAと既に強固な関係にあるSakana AIがGoogleを受け入れた背景には、極めて合理的な判断があります。
NVIDIAは「ハードウェア(GPU)」の王者ですが、「基盤モデル(脳)」を持っていません。Sakana AIの「進化的モデルマージ」は優秀な親モデルを掛け合わせて進化させる技術であり、Googleと組むことで世界最高峰のモデル「Gemini」を親モデルとして活用する道が開けました。NVIDIAの「腕力(計算力)」にGoogleの「知能(モデル)」を加えたことで、開発の質が次元上昇します。
さらに、世界的なGPU不足が続く中、NVIDIAのGPUだけに依存するリスクを分散し、GoogleのTPU(Tensor Processing Unit)も併用できるハイブリッド体制を構築。供給状況に左右されにくい安定した開発環境を実現しました。
つまり、この提携は「二股」ではなく、NVIDIAの「汎用性」とGoogleの「独自性」を組み合わせ、どの陣営にも依存しない「中立的AI企業」になるための戦略的な一手です。
売主(創業者・オーナー)への示唆
示唆①:企業価値は「技術」×「ベストオーナー」で決まる
企業価値は「技術や商品の良さ」単体では決まりません。Sakana AIの事例が示すのは、計算資源・データ・配備先(顧客導入)まで含めた実装ルートを持つパートナーと組むことで、単独では到達し得ない成長カーブが描けるということです。
拙著『会社売却とバイアウト実務のすべて』で詳しく解説している概念ですが、M&Aにおいて売主が考えるべき最も本質的な問いは「誰がベストオーナーか」です。「ベストオーナー」とは、単に高い価格を提示する相手ではありません。自社の技術・人材・顧客基盤を最も活かせる相手——つまり、自社が持つ「脳」に対して最適な「心臓(資本力・インフラ・顧客基盤)」を提供できる相手です。Sakana AIの場合、NVIDIAが「計算力」というアセットを提供し、Googleが「基盤モデル」と「日本市場へのアクセス」を提供する。このように複数のパートナーがそれぞれ異なる強みで企業価値を引き上げる構造は、「ベストオーナーは一社とは限らない」ということを示す好例です。
売主は、自社技術がバリューチェーンのどこでボトルネックを解消するのかを言語化し、「なぜこのパートナーと組むことが事業価値を最大化するのか」を論理的なストーリー(エクイティ・ストーリー)として提示することが重要です。
示唆②:資本提携は「出口」ではなく「成長の起点」——ただし契約設計が鍵
今回のような資本提携は、単なるイグジットではなく”次の成長の起点”です。しかし注意すべきは契約設計です。事業会社からの出資を受ける際、独占交渉権、IPの帰属、特定プラットフォームへのロックイン(競合との取引制限)など、将来の選択肢を狭める条項が含まれるリスクがあります。
拙著では、M&Aの最終契約交渉において「絶対に受け入れることができない条件」をあらかじめ整理し、入札のプロセスレターに前提条件として明記することで、交渉の最終段階でもめるリスクを回避する手法を解説しています。資本提携でもこの考え方は同じです。「今の条件」だけでなく、「将来の選択肢(次のラウンド、IPO、M&Aイグジット)を狭めないか」を契約締結前に徹底的に検討すべきです。
Sakana AIがNVIDIAとGoogleの「両方」と組めている点は、まさに契約設計で「フリーハンド」を守った結果です。バリュエーションだけに目を奪われず、将来のM&Aや追加提携の自由度を守る契約設計まで含めて、提携をデザインすべきです。
結びに
Sakana AIとGoogleの提携は、Transformerの生みの親がGoogleを去り、東京で新たなAIのアプローチを打ち立て、そのGoogleが「出ていった天才」に再び手を差し伸べる——という、生成AI時代ならではのドラマチックな構図です。
しかしその本質は極めてクールな戦略的判断の結晶であり、「誰と組めば価値が最大化するのか」「競争環境をどう作るか」「契約で何を守るか」という3つの問いに対する、教科書的な回答を示しています。M&Aや資本政策を考えるすべてのオーナー経営者にとって、この3つの問いを一体で考え抜くことが、企業の未来にとって最良の選択肢を実現する鍵です。
※本記事は公開情報に基づく分析・見解であり、特定の投資行動を推奨するものではありません。
【主要出所】Sakana AI公式発表、進化的モデルマージ解説、Wikipedia「Sakana AI」