運転資本(Working Capital)
運転資本(Working Capital:WC)とは、企業の財務健全性や財政状態にかかわる包括的な概念で、「企業に事業活動の中で短期的に必要となる事業運転資金として充当される資本」のことを言います。運転資本は、①総運転資本と②正味運転資本に大別することができます。
一般に、①総運転資本とは「全て(グロス)の流動資産」を意味し、②正味運転資本とは「流動資産から流動負債を差し引いた純額(ネット)」を意味します。
※会計では「流動資産・負債」か「固定資産・負債」かを区分する際、正常営業循環基準、一年基準という順で判定するが、本記事では詳細な説明は省略いたします。
総運転資本と正味運転資本の違い
総運転資本は、企業が事業活動に投下した資本の総額を示すだけであることは明らかです。それは企業の負債を考慮に入れていないので、企業の財務健全性や財政状態の真の指標ではありません。
一方、正味運転資本は現在の負債に対する現在の資産の超過又は不足を示しており、「安全性」を明確に示す指標であると言えます。また、「安全性」は「収益・リスク管理」や「資金繰り」に非常に大きな影響を与えます。
この様な考えのもと、経営者や投資家等は「正味運転資本」を重要視しており、金融の世界では、DCF法等の企業価値評価(バリュエーション)や、事業再生における要返済債務の算出過程等において重要な指標として徹底的に検討されます。
正味運転資本の基礎
算定式
正味運転資本=(売上債権+棚卸資産+その他流動資産)-(仕入債務+その他流動負債)
※正味運転資本の定義も「流動資産(現預金除く)-流動負債」、「売上債権+棚卸資産-仕入債務」等と異なる定義がなされる場合があります。定義の明確化は重要です。
たとえば、販売管理費がゼロ、税金がゼロの会社を想定します。第1期の期首に100の現預金があり、第1期に60で商品仕入れ、うち50を期末までにうち10を翌期に支払い、同時に第1期にすべての商品を80で掛売りし、入金は翌期になる状態が3期継続したとします。
この場合、第1期~第3期の利益は、60で仕入れ全商品を80で販売していることから、それぞれ+20となります。次に、第1期~第3期のBSをみてみましょう。単純化すると事例Aのようになっているはずです。実際は仕訳をしていただくと理解できるでしょう。
(事例A)
第1期末 | 第2期末 | 第3期末 |
現預金 50 | 現預金 70 | 現預金 90 |
売掛金 80 | 売掛金 80 | 売掛金 80 |
買掛金 10 | 買掛金 10 | 買掛金 10 |
売掛・買掛取引がない場合、第1期首に現預金が100あるとすれば、3年連続で利益が20発生しているとすると、第3期末には160の現預金があってもいいはずです。
しかし、第3期の現預金は90となっており、本来あるはずの現預金のうち70は事業活動(売掛金-買掛金)に吸収されています。第2期も同じことがいえます。140の現預金があってもいいところが、現預金残高は70となっています。この事業活動に吸収されている現預金70に該当するのが正味運転資本です。
仮に第3期だけ、当期に200の商品を売って掛け売りにより回収は翌期となり、その一方で商品を180で仕入れ、うち130を期末までに支払わなくてはいけない状況になったとしましょう(本来、企業経営上このような取引は現実的ではないが)。この場合、以下のようになります。
(事例B)
第1期末 | 第2期末 | 第3期末 |
現預金 50 | 現預金 70 | 現預金 10 |
売掛金 80 | 売掛金 80 | 売掛金 200 |
買掛金 10 | 買掛金 10 | 買掛金 50 |
この場合、第3期の利益も20であることから、現金取引であれば現預金残高は160になるはずです。しかしながら、現預金は10(前期末現金70-買掛支払10+売掛回収80-仕入のうち当期支払分130=10)、正味運転資本は150ということになり、本来あるはずの現預金160のうち150が事業活動に吸収されている状態を意味します。
このように事業活動を行ううえで正味運転資本が増加していくことは、現預金保有量の低下を招くことになります。なお、正味運転資本は売掛金と買掛金しかない企業を考えた場合、「売掛金-買掛金」で算出できます。
ここで、利益と現預金の関係を整理するとより理解が深まります。たとえば、第3期には20の利益が創出されていました。しかし、現預金増減(キャッシュフロー)は第2期末の70から第3期末では10と差分▲60の減少が生じています。
つまり、利益は20とプラスなのにキャッシュフローは▲60となっており、80の乖離が発生しています。これは何が原因でしょうか?
ここまで読まれた方ならおわかりになると思います。「正味運転資本が増加している」からです。正味運転資本の増加額をみてみましょう。第2期の正味運転資本は売掛金80-買掛金10=70、第3期の正味運転資本は売掛金200-買掛金50=150となります。
つまり、第2期から第3期にかけて、正味運転資本が150-70=80も増加していることになります。先ほどの正味運転資本が増加していくことは現預金保有量の低下を招くという説明どおり、「正味運転資本増加額=利益とキャッシュフローの乖離額」となり、言い換えると「利益-正味運転資本増加額=キャッシュフロー」となるのです。
なお、正味運転資本を構成するもう1つ重要な概念は「棚卸資産」です。棚卸資産はそれを購入した時点で、BSの「現金」を「棚卸資産」の勘定に振り替える処理を行います。したがって、実際の売上となるまでは、当該資産を購入するために支出した原価相当額のキャッシュは、費用としてPL上の「原価」に計上されず、「現金」がただ「棚卸資産」というBS上の「資産」に置き換わっているだけの状態になります。
このことから、「棚卸資産」が期首から期末にかけて増額しているということは、その分だけ、「PL上の費用」として認識されていない「キャッシュアウト」があることを意味します(原価とは、売上が計上されてはじめて、売上に応じた原価がPL上に記載される性質の勘定科目)。
このことから、「棚卸資産」の「増加分」は、「売掛金」の増加と同様に利益から控除しなければキャッシュフローの把握はできません。「棚卸資産」があるということは「現金支出を伴って商品を確保したもののまだ売上化しておらず、コストとして計上されていないものがある」という意味です。
これらの背景から、棚卸資産の増加は、「正味運転資本増加分」とみなします。なお、FCF計算にあたっては、「売掛金」「買掛金」「棚卸資産」以外にも正味運転資本とみなせる項目を幅広く「正味運転資本」と定義し、それによるキャッシュフローインパクトを計算し、「正味運転資本増減」とします。
正味運転資本増減の把握
DCF法で「FCF」を算定する場合には、正味運転資本増加額は「会計上の利益からのキャッシュフローの減額要因」として整理し、利益から控除することで現預金減少インパクトを算定します。
なお、①の事例では正味運転資本項目として主に「売掛金」と「買掛金」を説明しましたが、実際の計算では「棚卸資産」や「その他流動資産」、「その他流動負債」等も考慮していきます。
この「その他流動資産」「その他流動負債」については事業に関係あるもので、売上や仕入等の事業規模の拡大に合わせて増減するものについて抽出し、「正味運転資本」の計算に含めます。
一方で、社長に対する「貸付金」等の事業関係性が薄く、かつ事業の拡大・縮小に応じて残高が上下しないものは「正味運転資本」の計算に含めません。また、流動負債項目における「未払法人税」についても「正味運転資本」に含めないケースが多いようです。
たしかに、未払法人税は主に当期に発生した税金を翌期に支払うまでの未払金であり、当期の会計上の税額(支払いは翌期)をNOPLAT計算に用いた場合は、未払法人税を正味運転資本増減に含めてFCFを計算することで当期、翌期等に「実際に支払うべき」税額を考慮したFCFを算定することもあるようです。
しかし、NOPLAT計算において、当期に納付する金額を用いていれば未払法人税を正味運転資本として考慮する必要がありません。また、未払法人税は実際の税額に基づいて計上されるため、EBITに対応する税額と誤差も出ますし、中間納付の存在を考慮すると正確なCF指標を得にくいといったこともあり、FCF計算に用いる税額の計算はNOPLATの計算過程で処理してしまったほうがよいものと思われます。